週刊ダイヤモンド 9月22日号の特集「新聞没落」を読む。思いつくままに以下に記す。
生産設備の面から分析してみる必要もあるのではないか。現在の新聞のビジネスモデルを維持するための生産設備は、新聞輪転機、新聞編集システムの両輪が必要で、これを維持、更新し続ける必要がある。ともに業界の伝統、特殊性に縛られていて、なかなか汎用的、標準的な商品を使うことは出来ない。どちらも特注品と見てよい。したがって、設備投資額は巨大になる。設備投資の返済が経営を拘束し、大胆な舵取りが出来なくなる。
「ネットでニュース配信」というモデルの場合、このような大掛かりな設備投資は不要である。極端な話、新聞販売店もいらなくなり、従来の販売店への「補助」金もいらない。大幅なコスト削減が実現できる。必要なのは記者だけだといったら言い過ぎか。
しかし、「ネットの方がコストダウンができる」とわかっていても既存の新聞社は一気にネットに業態を切り替えることはできない。現在の新聞収入を支える基盤は紙の新聞販売だからだ。新聞販売店との関係、その先の従業員の雇用問題などを考慮に加えると、簡単にはビジネスモデルを変更できないことは明らかだ。新聞社は紙の新聞を商品とした組織となっている。それぞれの組織は縦割りで柔軟性がない。既得権もあるだろう。これを改革できない。部外者が、そう推測してみても、あながち的外れではないだろう。
主として中高年の読者のために大掛かりな投資をして、読者のために新聞発行を続けなくてはならない。部数が増加していればまだしも、減少すると、この維持は経営的に成り立たなくなる。原油価格の上昇による紙代の値上がりも響くだろう。新聞用紙の値上げは経営を直撃するはずだ。先細りの状況は特集のグラフなどを見ても明らかだ。新聞を配る人も高齢化して、宅配制度もその部分から崩れるのではないか。それにしても特集のグラフをみると、新聞社の平均年齢は高い。
新聞社サイトにアクセスする理由はニュースを見たいからだが、特集の指摘にもあるように「記事を無料で読めることが当たり前となったため紙媒体の減少を招く」状況になっている。ニュースをネットに無料で露出することに慎重な姿勢の社が多いのは、そのためだ。だがニュースを提供しない新聞社サイトなどアクセス対象にならない。そこで、ニュースだけでないサイトを目指して地方紙と電通が協力してネット通販のサイトを公開しているらしいが、敢えてそのサイトで買い物をしようとは思わない。ネットで新たなビジネスモデルを作りたい、しかし、そこに提供するコンテンツはニュースしかなく、ニュースを提供しても自身の資産を食うことになってしまう。会員制を目指している新聞社は多いが、結局、うまくいかない。
新聞記者の行動様式から考えても、新聞社がニュースをネットに速報することは難しいのではないか。「オンラインファースト」という考えがあるが、新聞記者は輪転機を回す締切時間に拘束される。輪転機が回るまでに記事を送信する、という行動パターンがあるだろうから、ネット社会の速報性になじまない。新聞記者は事件、事故の一報をデスクに報告しても、記事そのものは極端な話、後でもいいのだ。「オンラインファースト」というのは成立しないのではないか。通信社の記者と新聞社の記者は記事送稿の仕方が違うはずだ。
ニュースを期待して新聞社のサイトにアクセスしても速報が物足りないのは、たぶん、そのためだ。ネットにニュースを提供しても、儲からない。そう考える新聞社内の雰囲気が充満している。販売店との付き合いがある販売セクションの突き上げもあるだろう。編集、広告、販売などのセクション間の調整が難しいのではないか。特集からそう読める。
恐竜が時代に対応できなくなって死滅したように新聞社も衰退するのだろうか。当分は、今のビジネスモデルの継承は可能だと思う。見通せるのは10年程度、その後は、不明だ。
そもそも時事問題に対する無関心層があまりにも増えていないか。時事ニュースへの関心がなくなっていることの方が深刻だ。みんな自分の関心事に集中し社会が細分化される。「紙の活字離れ」を嘆く必要はない。余りにも個人に分割されてしまった社会は、逆に、一点に集中しやすく、全体主義に変異するおそれがある。そちらのほうが危険であろう。
アンケートの結果、「新聞が一番信頼がある」と特集の中で指摘されているが、本当にそうだろうか。災害報道、大きな事件などの時は、自然とNHKにチャンネルを合わせる。信頼感は実はNHKに対してが一番あるのではないか。
新聞のもつ妙なプライドに辟易することがある。いかにも自分こそが、自分たちだけが、「知る権利」の体現者であるかのような傲慢さを読者は感じてしまっている。これはテレビにもいえるが。さらに最近、読み応えのある記事が少ないような気がしている。
一般の業界では伊勢丹・三越の統合などのように経営統合が当たり前のように行われるが、新聞社の統合はあるだろうか。多分難しいのではないか。中央紙の間では統合するより他社が破綻してもらったほうが、他紙の読者を奪えるメリットを得ることができそうな業界に見える。中央紙の一つが破綻して消滅してもわれらの生活には影響はない。
地方紙についてはこの特集では多く触れられていないが、地域に密着した強さが、いつか弱点になることがあるかもしれない。地方紙は権力の監視というジャーナリズムの原点に照らしてその役割を果たしているか。
人口の減少、地方の衰退は、新聞読者数の減少につながる。「1県1紙」は戦時中の名残だ。大手紙による系列化や地方紙同士の経営統合は今後の道州制などの動きによりあるかもしれない。道州制への移行時期がポイントだ。地方紙の名称は残して経営的には統合することはありうると予想する。
ネットで三社が協力するとの記事が掲載されているが、失敗するだろう。決断力が遅く柔軟性がない組織同士が結合しても、シナジー効果があるとはとても思えない。地方紙が集まったサイトもあるが、たぶん芳しくないはずだ。各社の異なる事情をまとめるのは並大抵ではない。結局平均的なところに落ち着かざるをえず、魅力あるサイトにはならない。即断即決が求められるネットの世界に適応できる組織作りが遅れていると思われる。
新聞社も所詮は民間企業の一つでしかない。新聞社の経営危機はジャーナリズムの危機とイコールではない。
新しいメディア(媒体)、新しい伝達方法を得ることによる、あらたなジャーナリズムの成立を予感させる。他業界からの算入も既存の新聞業界に影響を及ぼすだろうことは「オーマイニュース」の記事(特集53ページ)を読むとうなずける。現実には予想以上に、既存メディア全体に影響を与え続けているだろうけれども。
再販制度に守られ、記者クラブに守られ、政局や人事異動情報に奔走する記者や新聞社。それこそが新聞没落の原因ではないだろうかと言ったら、あまりに書生論的だろうか。
人気blogランキングへ
最近のコメント