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2007年8月

2007年8月30日 (木)

基礎知識が残った

 手軽な時事用語の解説書として親しまれて来た「イミダス」「知恵蔵」が休刊することになったそうだ。

 世相を反映する数々の用語を収録し、毎年11月に発行されてきた「imidas(イミダス)」(集英社)と「知恵蔵」(朝日新聞社)の2誌が、現在発売中の2007年版をもって休刊し、店頭から姿を消す。「現代用語の基礎知識」(自由国民社)に対抗する形で1980年代後半に相次いで創刊され、現代用語事典の一時代を築いた2誌だが、インターネットの普及で手軽に情報を検索できる時代となって、発行部数は創刊時の1割程度まで落ち込み、撤退を余儀なくされた。(=2007年8月30日読売新聞サイトから=)

 発行部数が20年間で1割になってしまったのだから驚きだ。確かにネットで調べるのは便利なのだが、やはり、事典の頁をめくる時の感触はえがたいものがある。
 書店で書棚をながめながら思わず見つけ出す本との出会いがよきものであるように、頁をめくりながら言葉と言葉がつながっていくこの種の事典のよさは、ネットでは味わえない。
 確かに、ネットで語句を検索すると答えは瞬時に出てくるかもしれないが、どうも、紙の活字で成長した世代にはなにかしっくりこないものがある。
 老舗の「現代用語の基礎知識」だけが残ることになった。とは言え、「基礎知識」も10万部程度の発行部数とのこと。
 ネットだけの影響ではなく、そもそも活字で時事問題を扱うニュースに接する機会が少なくなったのだろうか。興味そのものがなくなったのだろうか。新聞の発行部数も全体として減少傾向にあることが新聞協会の資料サイトでも示されている。

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2007年8月29日 (水)

法務大臣の責務

2007/08/28-00:42 死刑廃止論「くみせず」=鳩山法相

 鳩山邦夫法相は27日夜、法務省で記者会見し、死刑制度について「凶悪犯罪の未然防止に果たす役割は大きい。死刑制度をなくせという意見にわたしはくみしない」と述べた。さらに「死刑を科すと裁判所が判断すれば、わたしは重んじる」と語り、状況に応じて死刑執行命令書に署名する考えを示した。(=時事通信社のサイトから=)

 基本的に鳩山法務大臣の認識は正しい。

 刑事訴訟法475条は死刑の執行は法務大臣の命令によること、その命令は死刑確定の日から6ヶ月以内にすることを決めている。同476条は法務大臣が死刑の執行を命じたときは5日以内にその執行をしなければならない、と定めている。

 法務大臣はこれに従う義務がある。この刑事訴訟法の規定は法務大臣に命令している。大臣自身がこれに従わず、死刑確定したものを、死刑でないと判断することは許されないし、自分がキリスト教徒だからとか仏教徒だからということを理由にして6ヶ月以内に死刑執行を命令しないことは、法務大臣自ら法秩序を破壊していることになる。法務大臣が死刑の妥当性を判断するのではない。状況に応じてなどと言わず死刑執行命令書に署名するのが法務大臣の責務である。

 死刑廃止論者が死刑の執行に抗議するのは自由だが、法務大臣がそれらの世論を気にしてその責務を果たさないのは許されないことだ。法律に従って死刑執行を命じるのが法務大臣の役目である。ややもすれば死刑執行を命じない大臣に評価を与える雰囲気だが、それは間違っているのだ。

 規範は守られなければならないことを法務大臣自らが示すべきだ。


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2007年8月27日 (月)

政治家に道徳を求めない

朝日新聞の8月26日付け社説の一部。

この春死去した城山三郎さんは、新刊の随筆集のなかで、戦前の気骨の首相、浜口雄幸(おさち)の次の言葉を引いている。「政治家は国民の道徳の最高の基準を生きなくてはいけない。国民全員が見ている」「総理たる者が約束を破れば、」激しい逆風の中で、首相は試練に立ち向かう。果たしてこれから巻き返しがなるか、それとも破綻(はたん)を迎えるのか。それは、自らの反省によって、国民の信頼を取り戻せるかどうかにかかっている。

 国民が政治家に道徳の最高基準を求めることは妥当だろうか?政治家に求めるもの、政治家が目標とすべきもの、それは経世済民のための政策であり、その実現である。道徳的な高潔さを求めるべき対象ではない。それを求めるとすれば、逆に政治家(権力)は国民に道徳を求めてくる道を許すことになる。内面の自由は宗教家へ託すものだ。政治と宗教の分離は民主主義の重要なポイントだ。

 政治家が公約(約束)を破った時、国民はその政治家を拒否し投票しなければ良い。それだけのことだ。大切なことは政治家を信じる事ではない。政治家が道徳家であることを求めるのではなくて、政治家が選挙の時に契約したことを実現するかどうか、その点について国民は監視しなければならない。経世済民の実現こそを求めねばならない。
 国民の厳粛な信託により政治家はある。契約の問題なのだ。「国民は何を信じて生きていけばいいのか」という表現はいかにも感傷的だ。

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2007年8月26日 (日)

引き返すのは恥でございます。

 今日、「篤姫」文庫本の上下を読み終えた。

 歴史に女の実績をほとんど記していない日本の男社会のなかで、女が如何に無視されていたか、ペンをおいていましみじみと考えています。

 作家宮尾登美子氏は「篤姫を書き終えて」の中で、こう記している。確かに明治維新が女性の視点で書かれた小説と言うのは、皇女和宮関係を除くと、ほとんど見当たらないのではないか。また、明治維新で取り上げられる女性と言えば皇女和宮ぐらいだ。

 皇女和宮の姑である篤姫の波乱の生涯と、大奥の頂点に立つ人から見た明治維新を記していて、あらたな視点を提供してくれた。徳川15代将軍慶喜についての辛口の評価もおもしろく、夭折の原因が乳母の白粉に含まれる鉛であるとの指摘も興味深いものである。大政奉還後、徳川家を瓦解させず、その後も徳川家が続く基礎を作ったのは、篤姫であるとの評価を与えている。

 人の評価は一定、固定ではない。視点により、いかようにも変化する。「毀誉褒貶は人のもの。行動は俺のもの」と言ったのは、篤姫と同じ時代を生きた勝海舟の言葉だったように記憶している。「筋を通す」「凛とした生き様を見せる」などの大切さを、あまり一般的には知られていない篤姫の生涯を小説の世界でたどることにより、再確認することが出来た。

 「女の道は、前へ進むしかない、引き返すのは恥でございます」(上巻151頁)というフレーズが、篤姫の生涯を言い表している。来年、この原作をもとにどんな大河ドラマが出来るのか、今から、楽しみだ。

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2007年8月22日 (水)

暑すぎ

 暑すぎて、ブログも休みがちです。
昨日、父と母が「暑い」と電話をかけてきた。何もせず、水分とって横になっているとか。
実家の東の部屋は、幸い、風通しがよい。自然の風なのだ。
 空調が効いた部屋の涼しさとはちと、違う。

 「回転寿司マダム、小池百合子の武器は女とウソ」
週刊新潮の見出し。ちょっとえげつないなぁー。
ちょっとおすましの新聞よりもおもしろい週刊誌の面目躍如といったところか。

『議員失格!』元愛人が剥(は)がした『さくらパパ』の仮面

これも週刊新潮。やっぱり、民主党の候補者も玉石混淆だったことが、あらためて明らかになった。


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2007年8月19日 (日)

大河ドラマ「篤姫」

 最近、NHKからキャストの一部の記者発表があったが、来年の大河ドラマ「篤姫」の原作を読み進む。宮尾登美子の作品を読むのは始めて。最近はずっと藤沢周平の「漆の実のみのる国」を読んでいたせいか、最初は文体の違いに戸惑ったが、なかなか面白い小説だ。上巻を本日読み終え下巻を読み続けている。
 今まで、大河ドラマでは明治維新の時代を多く扱ってきたが、原作はほとんどが司馬遼太郎の作品。この「篤姫」は、徳川13代将軍に嫁いだ女性の視点から明治維新を描いていて、新鮮な感じがした。


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2007年8月17日 (金)

23年前の雑誌のインタビュー記事から

 23年前、いわゆる「角栄裁判」で田中角栄元首相の「有罪ありき」の言説が相次いだ。それに異を唱える意見はかき消された。その意見の存在自体が許されないような雰囲気であった。
 そんな中で、雑誌「諸君」(文芸春秋社)は、数ヶ月にわたり「論争」を掲載。有罪の立場に立つ意見だけでなく、それに対する反論などを掲載した。
 今夏、実家の本棚から23年前の「諸君」を見つけ出した。まだすべての評論を読み返したわけではないのだが、その中で石島弁護士に対するインタビュー記事は、刑事裁判の原則とその基本的な認識の枠組みを再認識する上で大変役に立った。なお、石島弁護士はすでに鬼籍に入られた。

 雑誌「諸君」1984年5月号では「角栄裁判」は司法の自殺だ!と題して編集部が石島泰(いしじまゆたか)弁護士にインタビューをしている。

 その中で弁護士石島泰氏はロッキード事件一審についてその問題点を語っているが、その前段階として、25頁から33頁に刑事裁判の基本的な考え方を述べている。

以下、刑事裁判の基本的な枠組みを語った部分からポイントを要約して抽出した。

◎「刑事被告人としての基本的人権」は絶対に擁護されなければならない。
◎戦後制定された日本の憲法や刑事訴訟法は刑事被告人の基本的人権を守るために幾つかの保障条項を規定している。・・・たとえ十人の犯人を逃がすことがあっても、絶対に一人の無辜も罰することがあってはならないという、近代刑事裁判における崇高な人権思想の制度的表現にほかならない。
◎近代国家においては、行政権力が国民に対して処罰を要求する、その処罰によって決して国民の基本的人権が侵されることがないように、それを司法権力というもう一つの国家機関がチェックする、それが、近代国家における刑事裁判の本質的機能になる・・
◎基本的人権というのは、本質的に国家によって侵されやすいもの。基本的人権というのは天賦付与の権利だ、というような言い方がよくされるが、実はそうじゃない。人民が、長い人類の歴史の中で、知恵を出し、血を流して国家に約束させたもの。決して天から降ってきたものでじゃない。闘いとってきたもの。
◎司法権力=裁判官の任務は、行政権力=検察官の捜査、起訴、公判維持(立証)のすべてにわたって、これをチェックする。国民の基本的人権が侵されないように、行政権力の手から守る、これが司法権力の本質的な任務。
◎無罪の推定と言うのは、検察官の公訴事実は間違っていると言う前提に立て、ということ。無罪の推定の立場に立って検察側の主張と立証をあくまでも厳しく吟味しなければいけない。
◎もし、世間から極悪人として糾弾されるような人間の刑事裁判について、世間がその人間の断罪を望むあまり、もしその人間の刑事被告人としての基本的人権が侵害されることを許容したり、不問に付すようなことがあれば、実はそれはすべての国民にとっての基本的人権という堤の一角をみずから崩すことになる。

 最後の部分は銘記しておきたい。23年経った今でもこの部分の指摘は決して色あせていない。

 明日はわが身なのだ。全員が犯罪を犯し被告人になるわけではないのだから自分には関係ないと無関心ではいられない。冤罪で自分が被告人席に立たされることだってないとも限らない。その時、自分を守るべき盾となってくれるのは、近代社会における刑事裁判の基本原則なのだ。誰にでもこの基本原則を保障しなくてはならない。

 私的制裁(リンチ)を許してはならないということだ。力のあるもの、発言力の大きいものの恣意的な判断や雰囲気により、基本的人権が侵害されてはたまらないということなのだ。「有罪だ!死刑だ!」の大合唱に流されてはいけない。

 一般理論、枠組みをきちんと認識しておくことが大切。それに基づき、具体的な事件について冷静に自分の頭で考えた判断を下さなければならない。

 *余談だが、「角栄裁判」について確か「判例時報」という雑誌に中央大学教授の論文が何回か掲載された。余りにも専門的な雑誌だったが、どうにか手に入れて四苦八苦しながら読み始めたことを思い出す。しかし、何回か連載された後、急遽、連載中止になってしまった。この裁判の学術的な研究はとても大切なことだと思ったが、それさえも許されない「空気」が支配していたということだったと思う。

関連=刑事裁判を考える1(先月の投稿参照)

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2007年8月16日 (木)

右から左から

アクセスジャーナルにこんな記事。

当局が広報しなかったため、大手マスコミでは一切報じられていないと思うが、8月6日、内閣府を3名の政治結社構成員が訪ね、小指1本(この3名の内の1名の)と、安倍晋三首相は8月15日に靖国神社に参拝するように旨記した文書を渡していたことが、関係者からの話で明らかになった。

 安倍首相は右から左から攻められ、閣内の緩んでしまった箍をなおすことも出来ず、大変な状況だ。

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2007年8月14日 (火)

続続 盆帰り

 カレンダーに、几帳面に予定を書き込んでおくのが、父の習慣だ。お盆で実家に帰った時、ふとそのカレンダーの8月15日の予定を覗き込んだ。「敗戦記念日」と書いてあった。
 一般的には「終戦記念日」と言われているのだが、敗戦記念日とする方が正しいのではないか。父がどういう認識で敗戦記念日とカレンダーに記したのか定かではないが、

 戦争が終わった日は8月15日ではない。ミズーリ号で「降伏文書」に正式調印した9月2日がそうである。いってみれば8月15日は単に日本が「まーけた」といっただけにすぎないのだ。(=「あの戦争は何だったのか」保坂正康=)

 父は毎年、8月15日正午、皇居の方角に向かって頭を下げ手を合わせる。

 歴史の総括をせず、問題を先送りにして、うやむやのうちに戦後を築いてきた日本ではあるけれど、生真面目にコツコツと戦後を生きてきた多くの声なき静かな庶民がたくさんいる。

関連:父の戦争

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2007年8月13日 (月)

続・盆帰り

 今年の春、心臓発作のため74歳で死去した叔父の新盆の挨拶に実父と一緒に叔母の家に行く。

 未亡人となってしまった叔母さんは「まだ何もする気が起きない」と言っていた。隣で長男が母を優しくいたわっていたのが印象的だった。

 もう45年位前だろうか、この叔母さんが嫁ぐ日のことを覚えている。お嫁に行く妹の身の回りの世話をする実母と一緒に母の実家にいた。嫁ぐ日、花嫁衣裳に身を包んだ叔母さんが、イスに座って、じっとタクシーが来るのを待っていたのを。今と異なり、隣近所の人たちが総出でお嫁さんを送り出していたのを。

 時は容赦なく過ぎていく。いったい私は何をなしえたのだろうか。

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2007年8月12日 (日)

盆帰り

 夜空に打ち上げられる花火を見つめながら、実家へと車の運転は続く。
実家に着いたのは11日の午後9時前だった。

 NHK「想い出のメロディー」にチャンネルを合わせたら、懐かしい歌声が聞こえてきた。
千葉紘子「折鶴」、千賀かほる「真夜中のギター」などなど。岩崎宏美は思秋期を唄っていたが、相変わらず、昔と同じ声量で、嬉しい気分になった。すっかり昭和40年代後半から昭和50年代初期の歌が懐メロ扱いになってしまったことに感慨が深い。

 両親は、さすがに、最近の猛暑が堪えているようだったが、それでも久しぶりに見る孫娘に目を細めていた。80を超えて顔つきも変わってきたが、なんとか、二人で生きながらえている。父も母も小さくなった。でも二人が、子供や孫の心配をしながら毎日を送ることが出来ることを、幸せなことと感謝するのが一番だ。

 久しぶりに実家に泊まり、せみの声やかえるの鳴き声を聞いた。


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2007年8月 9日 (木)

きのこ雲の下で

 今日は長崎原爆の日。老人が深々と頭をさげてすすり泣いているシーンがニュースで流れたが、この映像が戦争や長崎原爆のすべてを物語っているような気がした。

 数日前、日本テレビ系のニュースZEROを見ていたら、アイドルグループ「嵐」の桜井君が、「米国の人は広島の原爆をきのこ雲の上から見ている。日本の人はその雲の下がどんな状況(惨状)だったかを知っている。原爆投下の正当性を言うのであれば米国の人にも雲の下の出来事を知ってからにして欲しい」と言う趣旨の発言をしっかりとした態度で話していた。

 大きなきのこ雲の下で多くの民が塗炭の苦しみを味わった過去と、味わっている現在を忘れてはいけない。そして将来、味わってはいけない。

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2007年8月 8日 (水)

眠い

 毎日、暑い日が続く。

 体力を消耗している。朝方4時ごろ、目が覚めた。トイレに行く。その後、眠れなくなってしまった。頭の回転速度も、いつにも増して鈍化している。朝、歩くのが嫌になり、列車に乗った。汗びっしょり。

 「なんとか元気だよ」と電話してきた両親に答えたら、「なんとか」という言葉が気になったらしく、何かあったのかと心配していた。親と言うのは常に心配するものだ。言葉使いに気をつけようと思う。

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2007年8月 7日 (火)

最終目標が政権交代とは片腹痛い

 民主党の輿石東氏が「最終目標である政権交代に向けてがんばろう」と挨拶しているシーンが6日のニュースで放映された。どういう状況下で発言されたのか、ニュースからは知ることは出来ないが、これは大きな間違いだと思う。政党、政治家の最終目標が政権交代というのは、その認識が根本的に間違っている。
 政権交代は一つの過程であり手段にしか過ぎない。政党の目的はそこにあるのではないことは明快だ。政権の座に就いたとき、どのような政策を実行し、以て、民の安全、安心と繁栄をいかに確保するか、それこそが最終目標だ。しかも、それは完結することはない。
絶えざる継続する力を要求される。

輿石東参議院議員会長は、7日午前院内で開かれた議員総会で、「国民は私ども参議院の会派に注目している。国民の注視の中、見られていることを心に留めて」と初当選議員に第一会派の議員として自覚ある言動を求めた。(民主党のサイトから引用)

 自分自身も発言に注意したほうが良いと思う。他にも軽率な発言をしている新人が
すでに現れている。今は安倍首相の進退や党内のゴタゴタがマスコミをにぎわせているから、余り目立たないだけだ。民主党の今回の勝利は敵失でしかない。前にも書いたが、「勝利」に浮かれていると足元をすくわれるだろう。参院で第一党と言っても単独で過半数を占めているわけではない。
 「イラク特措法に反対したら政権担当能力を疑われる」という党内の批判のならず、社民党や国民新党にもさまざまな問題で揺さぶられることになるだろう。
「勝って冑の緒を締めよ」とは名言である。まだ勝ったわけでもないのだから、なおさら自重することが必要だ。

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2007年8月 6日 (月)

雷鳴を聴きながら

 昨日5日、午後4時頃から激しい雷雨があった。
 そのためかどうかわからないが、今日、始業時にミロク情報の財務システムを起動したところ、「DBにアクセスできない」とのエラーメッセージが表示された。幸い、サーバーの再起動で復旧したものの、CVCF経由の電源供給の仕組みができているのに、何か不思議な事象だ。
 今日も、午後6時30分頃から、20時ごろまで激しい広範囲な雷だった。激しい雨。断続的な光と音。黒い雲。
 雷は3日続くと昔から言われた。明日も暑くなるようだ。

 暑い夏、今日6日は広島の原爆記念日。以下の朝日新聞の社説の一節はするどい分析だと思った。

 病理学者で原爆投下の歴史に詳しい土山秀夫・元長崎大学長は、むしろ久間氏が「しょうがない」の後に続けた言葉に注目する。「国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうるのかな」という部分だ。直接的には過去のことを語っているが、現代でも場合によっては、核兵器を使うことができるとも聞こえる。現職の防衛相の言葉だけに、被爆者は怒りを増幅させたというのだ。
(=朝日新聞の社説から一部引用=)


 

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2007年8月 5日 (日)

拒否できない日本

 「今までだったら、お客さんと口頭で約束した注文を、そのまま売り上げ入力することができたが、今は、それはできない。売り上げ(注文)を証明する文書がまず必要。さらにその文書の正当性が証明されることが必要。入力も、自分でするのではなく、入力専門のスタッフにその文書を提出する仕組みになった」

 某メーカーの営業マンが話してくれた。いわゆる日本版SOX法のお蔭で、仕事がやりづらくて仕方ないとのこと。内部統制の仕組みが社内に出来たらしく、柔軟性が利かなくなったことに困惑している。

 この人は入社以来、30年以上も営業一筋で、それなりに売り上げを上げてきた人なのだが、どうも最近は苦戦しているようだ。往々にして外回りの営業マンは事務処理は苦手な人が多い。「俺たちは事務員じゃない。稼ぐのが仕事だ」とかいって細かいことは後回しにする。人と人の付き合いから商売の話しが出てくると信じて疑わない。

 グローバリゼーションという名の米国化で、旧来の商慣習や制度が、ことごとく見直しの対象になっている。確かに「日本の常識は世界の非常識」という状況も困りものだが、なんでもかんでも米国の言いなりというのは、どうもおかしい。最近話題になった、ホワイトカラーエグゼンプション(white collar exemption)も日米投資イニシアチブ報告書に明記されている。
 自国の固有の文化、慣習、制度の見直しに「外圧」は必要だが、外国の制度に盲従することはない。

 ここ何年かの小泉・竹中「改革」に疑問、否認の意思を表明したのが、今回の参院選の結果ではないか。

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2007年8月 4日 (土)

鎮魂の季節

 8月は鎮魂の季節だ。8月6日の広島、8月9日の長崎、そして8月15日の終戦記念日。テレビや新聞もこの時期になると、戦争関連の記事が多くなる。戦後62年。鎮魂の季節がなければ、この国は過去の戦争に向き合うことをしない。

 朝日新聞のサイトにA級戦犯合祀について昭和天皇が憂えていたというニュースが掲載されていた。A級戦犯を分祀(ぶんし)することが、こじれた靖国問題の解決なのか?昭和天皇がこのように思っていたのだから、といってA級戦犯を分祀(ぶんし)しては、それこそ天皇の政治利用だろう。

 戦死者には、仏教徒、神教徒、キリスト教徒など、さまざまな宗教を信条としている人がいる。それを一括して靖国神社に祭ることは許されるのだろうか。国家権力は国民の思想、信条、良心に踏み込んではならない。国は特定の宗教に関与してはならない。支援してもならず、逆に、弾圧してもいけない。

 しかし、戦死者を国家意思として弔うことなくして、だれが国家に命をささげるか。バラバラな個人を集合体とし、国家たらしめるには、「擬制」「神話」「ものがたり」が必要ではないか。

 鎮魂とは死者の霊を鎮めることと広辞苑にはあるが、死者の霊とはなんなのか。そんなものがあるのか。死者の霊を慰め鎮めると言うより、今、生きている我々が、この日本と言う国、その歴史、国家とは、宗教とは、靖国神社とは、などなどに深く思いを致し、とにもかくにも紛争の解決手段として戦争だけは選択しない、と再認識することが、この季節に求められるのだと思う。

 もちろん、「平和」を祈念するだけでは、平和状態にはならず、絶えず、それを求め続ける政治的な過程が必要なのだけれど。平和であるという状態は、自然にあるものではなく、付与されたものではないから。

A級合祀「靖国の性格変わる」 昭和天皇が側近に
2007年08月04日06時08分

 靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)について、昭和天皇が「戦死者の霊を鎮める社であるのに、その性格が変わる」などと憂えていたと故徳川義寛・元侍従長が語っていたことがわかった。歌人で皇室の和歌の相談役を務めてきた岡野弘彦氏(83)が、徳川元侍従長の証言として、昨年末に出版した著書で明らかにしていた。
著書は、「四季の歌」(同朋舎メディアプラン)。同書によると、86年秋ごろ、徳川元侍従長が、岡野氏を訪れた。3~4カ月に1度、昭和天皇の歌が30~40首たまったところで相談するため会う習慣になっていた。
その中に、靖国神社について触れた「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」という1首があった。
岡野氏が「うれひ」の理由が歌の表現だけでは十分に伝わらないと指摘すると、徳川元侍従長は「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです」と述べたうえで「お上はそのことに反対の考えを持っていられました。その理由は二つある」と語り、「一つは(靖国神社は)国のために戦にのぞんで戦死した人々のみ霊を鎮める社であるのに、そのご祭神の性格が変わるとお思いになっていること」と説明。さらに「もう一つは、あの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとのお考えなのです」と述べたという。
さらに徳川元侍従長は「それをあまりはっきりとお歌いになっては、差し支えがあるので、少し婉曲(えんきょく)にしていただいたのです」と述べたという。
(=朝日新聞から 一部引用)

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2007年8月 2日 (木)

出口調査の結果は放送前に政治家に報告されるのか?

 時事通信のサイトにちょっと気になるニュースがあった。

2007/08/02-06:09 森氏ら3人、退陣必至で一致=「続ける」と安倍首相拒否

 自民党が惨敗した先月29日の参院選をめぐり、自民党の森喜朗元首相、中川秀直幹事長、青木幹雄参院議員会長の3人が結果判明の前に、安倍晋三首相の退陣は不可避との見方で一致していたことが分かった。同党幹部が1日、明らかにした。
 それによると、3人が29日夕に都内のホテルで会談した際、報道各社の出口調査などから「自民党の40議席割れは確実で、(首相を取り巻く)情勢は大変厳しくなる。もはやこれまでだ」との認識で一致。その後、中川氏が首相公邸にいる首相に3人の意見を伝え、退陣表明の段取りなどを詰めることになった。
 しかし、首相は中川氏に対し、「いかなる結果になろうとも首相を続ける」と明言。この後、正式に続投を表明した。(時事通信のサイトから引用)

 安倍首相が続投を決めた時の模様を伝えるニュースだが、気になる点がある。それは「報道各社の出口調査などから」とある点。
 開票日当日の夕方、報道各社の出口調査の結果が政治家のもとに情報として届けられていると言う点が奇妙ではないか。調査の途中経過が政治家に届くことが許されるのだろうか?
 私と妻が投票に行ったとき、NHKの腕章をつけた女性二人が出口調査を行っていた。私も質問を受けるのかと思っていたが、調査員は後片付けをはじめた。午後0時30分ごろだった。どうやら調査人数のノルマを達成したらしい、と理解した。
 考えてみれば、投票時間が終わる午後8時まで、出口調査をしている筈がない。テレビはHNK、民放ともに、午後8時には一斉に調査結果を元に最終議席を予測して見せるのだから、直前までデータ入力をしていることはありえない。やはり、午後2時か3時頃に調査を終了し、データ入力、集計、分析予測の作業が行われるのだろう。
 そうすると、当日の夕方には中間報告が出来上がり、それを聞いた森元首相、中川幹事長、青木参院議員会長が「状況は厳しい」と判断し安倍首相を訪問することが出来る。
 政治家を担当する記者が自分から進んで報告したのか、あるいは政治家に頼まれて記者が報告したのか、編集幹部が「どうなっているんだ」みたいな事を担当者に聞いて政治家に流したのか、いずれにせよ、有権者が協力した調査結果が、放送前に政治家の元に伝わっているということである。自民党が自身で行った出口調査であれば問題ないが、報道各社の出口調査が流用されていることは、おかしいではないか。
 出口調査に協力した人は、議席予測の正確な放送に使われることを期待して回答しているのであって、それを政治家が事前に知りえて、集票活動や、さらにはこのニュースのような政治活動に使われるとは思ってもみないだろう。
 政治家と癒着し、政局と人事予測やそれにまつわるゴシップに集中してしまうマスコミの問題点を図らずも伝えるニュースではある。



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