「川崎病としては重くもなく軽くもない。普通の症状ということです」小児科医と心臓の専門医の説明に、妻は泣き崩れた。「どうして、どうして」と泣き崩れた。数日前は東京ディズニーランドへ行き、あんなに元気に遊んできたのに、、。
医師にそう言われる前日の夜、夜勤で勤務していた私に妻から不安げな声で連絡があった。「子供の様子がおかしい。リンパ腺がはれているし熱も下がらない。なんか赤い湿疹もできている」雨が降る15年前の夏のことだった。リンパ腺が腫れていると聞いていやな予感がし、翌日、かかりつけの小児科に行ってみたが、医師は直ちに大きな病院に紹介状を書いてくれた。ただならぬものを感じたが、いくつかの検査の後、いわゆる川崎病と診断された。
それから、1ヶ月間、妻と娘の病院での生活が始まった。妻は一度も入院期間中は家で寝ることはなく、娘のベットの隣で寝食をともにし看病を続けた。
3歳上の兄がいたが、病院で生活するわけにも行かず、私の仕事の関係もあり、実家や義理弟の家に世話になった。息子は元気に振舞っているようにみえた。だが、「夜中に時々目が覚めては不安そうにキョロキョロしている」と報告を受けた。「娘さんにみんなが注目しているが、そんな時こそ、お兄ちゃんの方に注意を払っておいたほうが良い」と会社の先輩にはアドバイスをもらった。
夜になると仕事が終わった私と息子で病院を訪ねるのが日課になった。点滴のために腕や手は紫色になった。包帯で結びつけている部分が、ただれて膿がでていることもあった。点滴がいやで、看護婦さんたちに押さえ込まれる日が続いた。娘は泣き喚き「なんでこんなことされるんだよー」と大声をだした。娘はこのまま死んでしまうのではないかと思う日が、続いた。それでも見舞いが終わり帰路につく私と兄を、妻と娘は思い切り手を振って見送る時の笑顔が、そんな不安を打ち消してくれた。
一月が経過した頃、ようやく退院の日が来た。直ったと言うわけではなかったが、これからは自宅で様子を見ようということだった。通院することになった。高島屋で奮発して買った白と水色のワンピースを、退院の日に娘は喜んで着た。とても嬉しそうだった。母に手をつないでもらって、歩けることの嬉しさを身体いっぱいに表現していた。でも、その歩みはふらついていた。歩こうと言う意思とは裏腹に、力ない足取りだった。その姿を見たとき、この愛娘が受けた苦痛がどれほどのものだったのかが、理解できたような気がした。この光景は15年たった今も私の脳裏から去らない。鮮明によみがえる。
あれから15年。定期的に検査を続けているが、幸いに、その後は大病もせず成長した。「娘さんが大きくなって出産するときに、昔、川崎病になったことを思い出させるようなことがあるかもしれませんね」と退院の時、心臓病の医師は言った。
今日、7月14日、娘は18歳の誕生日を迎えた。
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