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2007年6月

2007年6月30日 (土)

今日われ生きてあり

 怪しげな集団に、無意識のうちに取り込まれてしまっていた2名の青年を、何とか救いださなければ。あやうく、知らず知らずのうちに反社会的な集団の一員にされるところだった。今回のことは少しは薬になっただろうか。だが、まだ安心はできない。いかにも脇が甘すぎるから。

 「日本を救うため、祖国のために、いま本気で戦っているのは大臣でも政治家でも将軍でま学者でもなか。体当たり精神を持ったひたむきな若者や一途な少年たちだけだと、あのころ、私たち特攻係りの女子団員はみな心の中でそう思うておりました。」=今日われ生きてあり=神坂次郎(新潮文庫)から。

 雨が少ない。降るべき時に振らないと。寝てばかりの一日。

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2007年6月29日 (金)

詐欺師

詐欺師は、自分を詐欺師と認識していない。そこが悲劇であり、かつ喜劇だ。

朝銀信組の破綻処理では1兆円以上の公的資金が投入されている。公的資金とは税金だ。日本のメガバンクにも確かに公的資金は投入されたが、その返済を完了したと聞く。朝銀信組のそれは返済されていない。いったいどこに消えたのか。闇は深い。

おととい癌の手術をした妻の友人を見舞う。息が苦しそうだった。チューブをしたまま歩くようにとの指導で病院内を少し歩いたとのこと。

「高田保馬リカバリー」(ミネルバ書房)をぱらぱらめくっていたら、先生の歌に会う。
 乗り越えて また乗り越えて いざ行かむ 男の子によしや 幾山川は
 執るペンに 導かれつつ 書き急ぐ 鳴きつぎやまぬ うぐいすのこゑ

蒸し暑い日が続く。歩くと汗びっしょり。
帰りは歩く気にならず、列車を使う。スイカの残額表示が不正。蒸し暑さのせいで誤作動?

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2007年6月28日 (木)

日向道、日陰道

 今、日のあたる道を歩いているとは言えない。どちらかと言えば、日陰の道だ。
同期の中でも遅れをとり、後輩にも抜かれた。そんなことは小さいことだと無理に自分に言い聞かせている。
このまま日陰の道を歩くうちに、日が暮れ、永遠の闇の中に吸い込まれていく。
 日の当たる道を歩んだことがないわけではない。プライドをくすぐられた時期もあった。それも一瞬の出来事だった。その時の自分の愚かさと思い上がりを、今、悟る。

 今日、一万歩の歩みを刻むことが出来た。

 ハト派護憲派と言われた宮沢喜一氏が老衰のため死去した。合掌。
それにしても、中曽根康弘氏は元気だ。

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2007年6月27日 (水)

父の戦争

 実家から米が送られてきた。自家菜園で採れたキュウリが一本、一緒に入っていた。初めて出来たキュウリだからと父は言った。「おじいさんが作ったキュウリだよ」と母は言った。
 父は昔、戦争に行った。60年以上前だ。漁船を改良した船に乗って、南方から飛来する敵機の機影を発見してそれを伝達する役目だった。自分の20歳の戦争体験を酔いに任せて孫に語って聞かせた。特に最近は酔うと、戦争の体験談が多くなったようだ。
 農家の四男だったから学校へも行けず、戦争に行って帰ってきたことが自分の勲章だった。「終戦で二等兵から一等兵になった」ことが自慢だった。数年前、時の首相小泉純一郎氏の名前が記された「あなたの先の大戦でのご苦労、、」という賞状と銀杯をもらえたことが誇りだった。

 =以下、朝日新聞のWEBニュースから一部引用=

 米下院外交委員会は26日、「慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求める決議案を圧倒的多数で採択した。決議案は民主党のマイク・ホンダ議員が2月に提出したもので、140人以上の議員が共同提案者に名を連ねた。来月に下院全体会議で採択され、正式な決議となる見込みだ。
 決議案は「米下院は、日本政府は旧日本軍が1930年代および第2次世界大戦の全期間において、性奴隷として慰安婦を強制徴用した事を、明確かつ少しもあいまいでない形で公式に認め、謝罪し、かつ歴史的責任を負うべきであると考える」と表明。「日本政府は第2次大戦中、慰安婦として数万人のアジア女性を強制徴用することを日本軍に許可した。その残忍性と規模は空前のものであり、集団暴行、強制堕胎、凌辱、性暴力などが行われ、これによって大量の自殺と死亡を招き、20世紀の人類史における最大の暴行の1つとなった」としている。

 =引用終わり=

 米国がかつてのベトナム戦争、現在の中東での戦争で何をしてきたのか。何をしているのか。その「残忍性と規模は空前のもの」ではないのか?歴史を省みる必要はある。でも米国に言われたくないなぁ。

 なお朝日新聞のいわゆる「従軍慰安婦」報道については池田信夫ブログも参考になる。

 事実をきっちりと積み重ねる必要がある。真摯でひたむきな国家の在り様とは、どういうものだろうか。先の大戦の決着は、いつ、どのように行われたのか。何をもって決着、終戦と言うのか。


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2007年6月26日 (火)

ボーナスが決まらない。

 

ボーナスを返上することを決めた総理、社会保険庁長官など。でも、まだボーナスが決まっていない。交渉の真っ最中。

 相手方は不在だったのか、書留(配達記録)で送付した当方の通知書を受け取ってない。こちらの通告に対して、先方がどう出るか注目だ。

 8316歩。歩みが遅い。

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2007年6月25日 (月)

給与明細

 民主党の新聞広告に従ったわけではないけれど、じっくりと給与明細を見た。
住民税が12000円アップしていた。昨年の同じ時期、所得税は24200円。今月の所得税は18640円。所得税は5560円ほど減少しているが、住民税は12000円アップ。給与の本給は変化なし。きついなぁー。

 妻の友人が癌の手術のため、本日、大学病院に入院。明後日の手術日を待つ。とても癌を患うようには見えなかったとか。

 38年間、電算機のハード製作、開発一筋に従事してきたF社の技術者から定年退職の挨拶の葉書を頂戴する。第二の人生をこれからは有意義に送りたいと書いてあった。
いつか私も行く道だ。

 8769歩。

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2007年6月24日 (日)

青年は荒野をめざす

 ストリートミュージシャンのライブを聞きに行く。生憎の雨の中、立ち止まる人も少なく、足早に過ぎ去って行く人が多いのだが、3組のミュージシャンたちは、自分たちの想いを精一杯に唄う。傍から見れば稚拙で、独りよがりの部分もあるのだろうが、それでも、時に心の中に響くものがある。3組のうち、1組が実は我が息子のグループなのだが、どこで人前で歌う度胸を身につけたのだろうと不思議な気持ちだ。こうして駅前で歌うようになって、もう5年くらい経たかもしれない。めったに見学したことはないのだが、たまには聞いて欲しそうな息子の様子に根負けした。
 いつか壁にぶち当たり岐路に立たされるのだろうが、それでも、自分を表現、主張できる手段を持つことの幸せは何者にもかえがたい。

万歩計を忘れ、歩数を記録できなかった。曇り雨。

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2007年6月23日 (土)

嫣然と微笑む

歩みを刻まず。暑さのなか、終日、家の中で過ごす。沖縄慰霊の日。

 突然、東京から新築マンションのセールス電話。なぜ自宅の電話がわかるのか問い合わせたら、新築マンション建設予定地に該当する局番の0000から9999までを片っ端から手分けしてかけているのだとか。ご苦労なことだ。

 妻の友人の癌の手術が27日に大学病院で行われることに。
20年前我が家に来て、生まれたばかりのわが息子を抱いて嫣然と微笑む写真が保存されているが、本人は自身の子を抱くことはかなわなかった。

もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも、自体からも、他のものからも、二つからも、また無印から生じたものも、あることなし(「中論」)

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2007年6月22日 (金)

涙雨

 昨日より1歩多い9369歩。朝から雨。40歳あまりの息子を亡くした80歳になろうかという老いた父の嘆きの気持ちが、雨になったのだろうか。

 昨年の今頃、30年ぶりに再読した三島由紀夫の小説「豊饒の海」をより深く理解したいとと思い買い求めた「龍樹」(中村元 講談社学術文庫)がまだ「つん読」状態だ。
 -何ものも真に実在するものではない。あらゆる事物は見せ掛けだけの現象に過ぎない。
 <空>というものは無や断滅ではなくて、肯定と否定、有と無、常住と断滅というような、二つのものの対立を離れたものである。したがって空とはあらゆる事物の依存関係にほかならない。

 じっくりと、一人静かに、内省を試みたい。

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2007年6月21日 (木)

第2日

9368の歩み。なかなか1万歩にならない。夕方、泣き出しそうな雲。
とってつけたような、付け焼刃の学習。

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2007年6月20日 (水)

初日

9280歩。蒸し暑い日

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